対馬の歴史
いまから数万年前、地球に氷河期が訪れました。そのときに気温は下がり、海から蒸発した水分が雨ではなく、雪となって大陸につもり、大陸と日本は陸続きになったと考えられています。その証拠に、大陸系の動物が沢山対馬に存在しています。その代表的な動物が「ツシマヤマネコ」と、言われています。その後どうなったでしょうか?地球の気温は上昇し始め、朝鮮半島と日本本土の間に、対馬や壱岐などの島が生まれました。そのときに、大陸を渡ってきた動物達は島に取り残され、大陸からの植物もそのまま成長していったと考えられています。
実際、対馬の歴史はとても古くからのものが残っています。一例として、学校の教科書で学ぶ「万葉集」の中にも、対馬と関係したものがあります。万葉集は、天皇・貴族から庶民・防人まで、沢山のさまざまな人々が詠んだ4500首以上の歌を集めた日本最古の和歌集で有名ですが、万葉集全20巻のうち、巻20の防人(さきもり)の歌によって、対馬の歴史の深さを表しています。防人とは、664年、壱岐・対馬・九州北部に配置された辺境守備兵です。彼方も一度は防人についてお聞きになられたことがあるかも知れません。初期の防人はとても苦労のかかるものでした。防人の仕事は、徴発されると、武器や食糧は自前で準備し、任地に到着してから3年間を自給自足しながら警戒にあたるという激務です。農村では、若い人手が防人に徴発され、深刻な労働力不足がおこりました。また、防人に行った人たちは、自分の里に生きて任地から戻る保証もないため、防人本人にとっても家族にとっても非常に重い負担でした。ですから、この「防人の歌」の大半は、故郷への思いや、故郷に残してきた親・妻・子どもたちへの気持ちを綴ったものとして有名なものとなっています。その防人の土地がこの対馬なのです。また、元寇のときにも、この対馬は舞台となっています。それに加えて、「魏志倭人伝」にも、この対馬は「青銅器王国」として取り上げられています。
最近では、大河ドラマを見られた方も多いことでしょう。その豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、この対馬は日本が当時の朝鮮、今の韓国を攻める時の重要な足がかりとなっていました。そのドラマによってこの対馬の存在を知られた方もいらっしゃるかもしれません。
この対馬は古くから存在し、歴史の重要な拠点となり、多くの方によって守られてきた島です。この島を訪れると、祖麻の歴史を回る観光ツアーに参加することが出来ます。そのツアーによって、自分の目で確かめながら、対馬のよさをもっと知ることも出来ます。